続。親子コンプレックスと摂食障害とセレスと②


第2部 摂食障害


わたしは、中1で体重が30キロにまで落ち

風が吹けば、本当に飛ばされるくらい

ココロもカラダも無力でした。


わたしは母の空いた穴を塞ぎたくて

惜しみない愛を注いでいました。


子供ってお母さん大好きです。


だから、母と愛を分かち合いたかった


これがわたしが欲したものです。

でも、母はそうではなかった。


母は埋まらないものを埋めたかった

わたしでは埋まらなかったのですよ。

欲するものと違うし

或いは、思ってたんと違う的な

彼女の理想のものと違ってた


わたしは、いつもフラれてばかりで

こっちを見てくれない

怒りたくもなります

わたしのこと見てよ!

ちょっとは心配してよ!ってね


怒りを爆発させた結果がそうだったのか

摂食障害を起こします。


水星座にセレスがあると
摂食障害を起こしやすいそうです。
感情や愛着、深い依存など
愛憎の関係性であり
デープな体験をしやすいとか


わたしは、思春期を迎え

ダイエットブームに乗っかり

間食を抜き

出されたご飯ですら

あまり食べなくなりました。


5キロほど減った頃

友人や先生に

拒食症を疑われるようになりましたが

母からは

一切、瘦せたことに触れられることがなく

いつも通り


母はいつも自分のことで

いっぱいいっぱいだったのです


10キロほど減った頃に

「ご飯の作りがいがないから食べてくれない?」

と言われたときに

頭の中で何かがはじけました


母は、本当にわたしの事を

見ていないんだと確信しましたし

わたしは可愛がってもらえていない(かも)

母は自分の事しか見えていないんだと


そこで、スイッチが入りました

復讐に近いものがあると思います


だったら、わたし、

消えてなくなってしまおうって

失ってから気づいてくださいって


今考えたら

失っても気づかない人もいるのに

なんて無謀なことを!!って思いますが


人は体重が27キロ位になると

死ぬんだっていうのを何かで読み

その数字を目標にしました。


子供って純粋で実行力があって怖いのですよ。


わたしの体重が33キロ位になったときに

ようやく母が動き出しました。

学校側は

事前に水面下で動いてくださっていたようで

すぐさま、保健の先生の車で

親子共々、遠い総合病院へ連れられて行き

その場で、拒食症と診断を下されました。


母は、まさか!うそ!分からなかった!

と涙を流して泣きましたが


いやいや、わたし、骨のごとくガリガリですよ。

気づくだろ!って突っ込みたくなりましたけど。


でも、ホントに
彼女は気がついていなかったようです

何故なら、彼女は、
摂食障害について知らなかったし
知ろうともしなかった。
わたしが水泳をしていたので
痩せて当然とも思っていたかもしれませんが

彼女もまた愛着障害だったから

心を通わせるっていう喜び
そこから生まれる思いやりを育めなかった
のかもしれない

子供は、無条件に愛される感覚を知り
安心して成長していきます。
わたしたちは、
その愛された記憶と
元々持っている感覚を合わせて
自分ではない誰かに愛情を注いでいくのです。

母は、ぽっかり空いた穴に執着していたし
無条件の思いやりを娘に向けられなかった。
娘を見ておかしいとも思わなかった。

それだけなのです。

(考察ではありますが)


母の涙を見たわたしは

そこで、達成感を感じました


反抗期でもあったのかな

この感覚がひどく残酷だなと思いますが

子供だってちゃんと

ひとりのココロをもった人間


お母さんわたしを見てって

わたしと愛を分かち合おうよって

お誘いを踏みにじられた気持ちだったのです

母は、自分のことでいっぱいいっぱいなだけ

なので踏みにじったわけではないんですよ。

母も母で悩んでいたのです。


わたしは

生きる気力も体力もなくなって

母の涙で

もう全て忘れようって感じでした。


続く

第三部 入院生活と切替え

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