続。親子コンプレックスと摂食障害とセレスと③
第3部 入院生活と切替え
入院生活が始まるのですが
いままで食べていなかった子が
急に食べるなんてできなくて
拒食は止まらず
体重は30キロまで落ち
肺気胸まで起こして
息が吸えない苦しさを味わい失神
本当に死ぬ寸前でした。
人も車も急に止まれないのですよ
しかし、
両親と離れて病室でひとり
普通ならホームシックになるだろうところ
すごく気持ちが軽くかったこと
を覚えています。
だって
本当は嫌だった電話の応対も
通訳もしなくていいから。
義務みたいに思っていたのものから
外れても生きてていいって
解放された気分でした。
疲れていたのでしょうね。
そしてね
病院での生活は
闘病している子供たちの姿
それを応援する親の姿
沢山の笑顔と愛で溢れていました✨
わたしは
すごくふわーっと優しい気持ちになりました
親とすれ違っていたので
普通だったら妬んだりするかなと思いますが
親元を離れ
辛い透析や投薬、検査を頑張って
受け入れる子供たちを見ていたら
生きることにまっすぐな子たちが
美しく見えたのです。
わたしは、自分のことばかりで
恥ずかしいったらありゃしない。
だから、この子たちの活力である
親御さんが笑顔で病室に来てくれることが
何より嬉しかったのです。
看護婦さんたちが
母の為にと手話を習得しようと
わざわざ勉強し始めたり
(本当に母の為にかは分かりませんが
毎週講師を呼んで勉強会を開いていて
退院後に、婦長さんにお会いした時、
手話を使いこなし、母と会話していました。)
主治医からは、
心臓のモニターを見せてもらうという
貴重な体験をさせてもらって
本人が意識していなくても、
絶えず臓器は動いてくれているってことの
有難みを感じたり
病院って場所が優しさで溢れていました。
他人の事に親身に携わろうってする
医療従事者の精神は尊敬でしかありません。
掃除とか配膳のおばちゃんたちと
沢山関わった記憶もあります。
親以外の大人と関わったっていうのも
大きかったように思います。
おかげさまの精神で相手を思いやり合うこと
社会の中で育まれる愛に触れて
もう一度、生きよう
わたしの為に生きようって
思いました。
わたしは優しい愛で浄化され
癒えない気持ちを手放し
新しくやり直そうと思ったのです。
わたしは
母の孤独感を埋められなかった
わたしにも似たような感覚があって
そこを埋めたかった
分かり合いたいし、凄く淋しかった
彼女には、何度か分かってもらいたくて
言ったこともありましたが
通じなかった
お互いに不器用なのかもしれないけれど
すれ違うものはすれ違うもの
別にここ、埋めなくてもイイや
って思うようになりました
その孤独感を知ることができたことが
わたしの人生で大きな財産
お宝です
ひとつ言うと
埋めるも埋めないも想像の世界
そして
その想像を塗り替えられるのは
自分だということ
誰かに埋めてもらうものではなく
自分で埋めるもの
みんな
何がなんでも愛されてるって
認めてしまうとか
逆に、何がなんでも愛されてないって
考えてみる。
すると、いや、
わたし、そんなに愛されない人じゃないよ
って思ったりもして。
外に求めるんじゃなく
内で完結すること
だから、今、目の前にいる人と
分かり合えなくても大丈夫
それは、残念なことではないから
自分が自分を理解すること
こっちの方が先決であり
自分が感じていることを
どうしていくか共に考えていく姿勢を
自分に見せる
自分自身に起こっていることは
幾らでも塗り替えられる。
平和も生み出せる。
自分が穏やかだと、周りも穏やかになる。
プンプン怒ってばかりの人には
近づきたくはないですよね。
それが波動。類友。
同じような気持ちの人が集まってきますし。
自己受容が要。
平和は自分から作り出せるということです。
続く
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